日本における宗教と政治の関係は、近世初期の頃、根本的な転換が起こりました。そのひとつとして権力の問題、具体的には、宗教に関わる諸問題への権力者の介入、邪教及び“異端”とされる宗教グループの抑圧、そして政治的支配権の存続に協力的な宗教グループの保護などが挙げられます。さらに、幕府や諸藩への忠誠を尽くす仏教系の宗派は、キリシタン弾圧を受け、行政機関との協力のもとでいわゆる「寺請制度」を展開させました。寺請制度は、徳川政権下におけるもっとも重要で、かつ広い範囲での影響力をもった宗教政策であり、「檀家制度」と称される、仏教寺院と信者との間にまったく新しい関係をもたらしました。

初期の寺請制度には、いくつかのバリエーションがみられます。そのひとつが「神道請」と呼ばれる形態であり、現在、「神道請:神社を通じた宗教統制」と題するプロジェクトとしてオーストリア科学アカデミーで研究を進めています 。この神道請とは、民衆を仏教寺院に登録させるのではなく、それを神社に代替させるという仕組みですが 、実際には、ごく限定された藩でしか導入されず、しかも、17世紀の後半のわずか数十年の間しか存続しませんでした。しかしながら、神道請という現象は、初期の寺請制度のかかえる諸問題やその発展過程を解明する上でユニークな視点を与えてくれます。

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